高木 桂一
作家

高木 桂一

少年期より、「 結ぶ 」という事に 興味を持ち、「 マクラメ 」「水引 」「組み紐 」「 花結び 」等、紐や糸を結ぶ手芸を趣味の範囲で 行う傍ら、「 折り紙 」特に 一枚の紙から沢山の鶴を作る 「 連鶴 」を楽しみ、青年期にに入ると、美術・工芸へと関心事が広がり、様々な美術館に出入りしているうちに、日本の美の美しさに惹かれ、細かい手作業による 技の世界の素晴らしさを知るうちに、細かいビーズを使う手芸にも手を広げるようになりました。結婚後も、家内が編み物の講師資格を持ち、男が手芸をすることに何の抵抗もなかった、環境もあってか、趣味の範疇で手芸が生活の中に溶け込んでいました。本当に偶然だったのですが、テレビに映し出された一枚のショールに、一体この細かいレースは何だろうという私のつぶやきに 即答して 「 これはタテイングレースよ、娘だって学校でやってたわよ、シャトルも持ってるし、貴方、細かい事好きだからやってみたら? 私は 興味ないから あげるわよ 」と シャトルを渡されました。

かぎ針、棒針を使っての編み物は もちろん編み物講師である家内の方が 技術的にはるかに上手でしたので、全く興味はなく、「 結ぶ 」 手芸のタチィングレースに対しては、幼いころからの 様々な結びの世界が このためだったかのように、のめり込み、英国で技術を身に付けた有名な男性講師に師事し、東京教室、名古屋教室と通い、上達してからは ギルド方式で技術を伝える 工芸会へのお誘いを受け、より深い専門的な技術を身に付けました。海外の著名な講師のご指導も受け、いろいろな場で 賞も頂きましたが、ある時期から、あくまでも英国流の技法、伝統を守りたいという事に、にこだわる先生と、他の国の技術も身に付けたい、作品も日本的なものを作りたいという私の考え方の 食い違いが生じ、恩師の元を離れ、作品も日本的な作品制作が多くなりました。

静岡では、名門女学校で、タティングレースをシスターがしどうしていたという土壌もあり、静岡でのイベントで 私が タテイングレースのブース出店をすると、娘時代にタテイングレースにかかわりを持った レデイの方々の口コミで話題となり、また 日本に訪れたタテイングレースブームと相まって、カルチャー教室でご指導させて頂く機会があり、連鎖的に 静岡県内での カルチャー教室が開校となり、技術を伝える大切さを感じましたので、縁あって、日本アートクラフト協会の 東京教室で タテイングレース講座の開講となりました。

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